東日本大地震から、8年。
もう8年も経つなんて。
まだまだ復興中のみなさんが、大勢います。
忘れないでいること、が大切なんですね。
その時刻、東京の6階の自宅マンションに次女といました。
揺れの異常さに、マンションのドアを開けに行きました。
ドアを開けながら、次女としゃがみ込んでしまいました。
キッチンから、食器の割れる音が響きました。
波状攻撃のように強い揺れがきて、もう何が何だかわかりませんでした。
割れた食器を片付けようにも、揺れて揺れて。
ひとしきりの大きな揺れが収まってから、すぐにコンビニに行きました。
こんな日は夕飯は作れないから、お弁当を買ってこよう、と。
このすぐ後にコンビニから、商品が無くなるなんて、想像もしてませんでした。
テレビをつけたら、訳のわからない津波の映像が映し出されてました。
映画のようでした。
夫も長女も、徒歩で3時間くらいかかって帰ってきました。
家の近所の幹線道路の歩道は、歩いて帰る人たちで溢れていました。
11日は金曜日でしたから、翌土曜日は、家族みんなで、テレビにかじりついていました。
被害状況が、まだまだ断片的でした。
スーパーに買い物に行きましたが、あらゆる物が品薄でした。
月曜日は、東京の表面は平常でした。
ライフラインも、公共交通網も平常でしてから。
私もパートに行きましたが、地震の揺れも、収まりません。
スニーカーを履いて通勤していました。
原発事故の影響で、地下鉄のコンコースが暗くなっていました。
地震国の日本。
どこでも発生の恐れがあります。
防災の意識を、たえず持っていること、簡単ではありません。
明日は我が身、と改めて思いました。