父の命日だったので、父のことを思い出してみました。
幼い頃の父は、近寄り難かったです。
食事は黙って食べる、テレビはNHKが正しい、朝のニュース、12時、夜7時のニュースは絶対みます。その時間の子供番組はNGでした。
向田邦子の小説に登場する初期の昭和時代の父親でした。
父がいない日の夕飯は楽しかったです。子供のテレビ番組が見られて。
でも、自営業の父だったので、そんな嬉しい日は月に1日あるかないかでした。
世間話をした記憶がありません。用件のみの会話でした。
父と面と向かって話ができるようになったのは、私の出産後です。
二人の娘達は、とても可愛がってくれました。
気難しい面は残っていましたが、孫達がつきまとうのは、楽しかったようで、邪険に扱うことはなかったです。
私は、そんなに父にびっくりしました。
話題は、娘達のことが中心だったけど、普通に会話するようになりました。
娘達が小学生の時に、夫の海外赴任て、ヨーロッパに住みました。
その時に父は初めてパスポートをとって、我が家を訪ねるのに海外旅行をしました。
その滞在中に、一人でパリとロンドンへ遊びに行きました。
初海外なのに一人旅。しかも60歳過ぎですよ。
計画を聞いた時には、びっくりです。
父は、ラジオ英会話を聞いてコツコツ勉強して英検を受けたりと、英語には少し自信があったようです。
ヨーロッパの時刻表のトーマスクックを読み込んで、計画を立てていました。
そして、フラーと出かけていきました。
一人旅から無事に帰った父は、饒舌に楽しかった旅の様子を私達に話してくれました。
父って旅行が好きだったんだ。この時に初めて知りました。
好きだったけど、若い時にはできなかったんだ、生活に余裕がなくて、子供(私達兄妹)の教育にお金かかりましたからね。
その後の父は、堰を切ったように、海外旅行に毎年のように出かけていました。
さすがにツアー旅行でしだが、一人参加で。
母は友達と旅行する方が良くて、父は一人が良くて、バランス取れてました。
70代後半で南米マチュピチュへ行きました。
アフリカのビクトリアの滝も行ってます。
エコノミークラスなのに長いフライトもへっちゃらでした。
よく旅行会社が一人参加をOKするな、という年齢になっていました。
旅行会社が父の一人参加を渋るようになったら、私が同行しても良いと思っていたくらい。
万が一、旅行先でトラブルが起きたら、いつでも飛んでいく覚悟もできていました。
楽しそうにどこに旅行するか計画をたて、帰国後に写真を見せてくれる父とは、普通の父と娘の関係になっていました。
私が幼かったころの印象はどこへ行ったのやら。
普段は、スーパーのチラシを眺めては、あちこちのスーパーへ買い物に出かけてました。
料理も好きでやっていました。
なので、父が生存中は母は買い物はほとんど行っていません。
野菜が高いとかの会話は父としていました。
社交ダンスもしていました。
ダンスに月に何度か出かけていました。
もういい爺さんなのに、男性というだけで、歓迎されるようです。
母ももう笑っていました。
亡くなる1年前まで、本当に元気に生活していました。