中流奥様の還暦ブログ

還暦から4年も過ぎました。2歳上の夫は完全リタイア2年目。完璧な年金生活者になりました。家計のことお金の動きを中心に綴っています。

命日に寄せて~父との思い出

父の命日だったので、父のことを思い出してみました。

 

幼い頃の父は、近寄り難かったです。

食事は黙って食べる、テレビはNHKが正しい、朝のニュース、12時、夜7時のニュースは絶対みます。その時間の子供番組はNGでした。

向田邦子の小説に登場する初期の昭和時代の父親でした。

父がいない日の夕飯は楽しかったです。子供のテレビ番組が見られて。

でも、自営業の父だったので、そんな嬉しい日は月に1日あるかないかでした。

世間話をした記憶がありません。用件のみの会話でした。

 

父と面と向かって話ができるようになったのは、私の出産後です。

二人の娘達は、とても可愛がってくれました。

気難しい面は残っていましたが、孫達がつきまとうのは、楽しかったようで、邪険に扱うことはなかったです。

私は、そんなに父にびっくりしました。

話題は、娘達のことが中心だったけど、普通に会話するようになりました。

 

娘達が小学生の時に、夫の海外赴任て、ヨーロッパに住みました。

その時に父は初めてパスポートをとって、我が家を訪ねるのに海外旅行をしました。

その滞在中に、一人でパリとロンドンへ遊びに行きました。

初海外なのに一人旅。しかも60歳過ぎですよ。

計画を聞いた時には、びっくりです。

父は、ラジオ英会話を聞いてコツコツ勉強して英検を受けたりと、英語には少し自信があったようです。

ヨーロッパの時刻表のトーマスクックを読み込んで、計画を立てていました。

そして、フラーと出かけていきました。

 

一人旅から無事に帰った父は、饒舌に楽しかった旅の様子を私達に話してくれました。

父って旅行が好きだったんだ。この時に初めて知りました。

好きだったけど、若い時にはできなかったんだ、生活に余裕がなくて、子供(私達兄妹)の教育にお金かかりましたからね。

 

その後の父は、堰を切ったように、海外旅行に毎年のように出かけていました。

さすがにツアー旅行でしだが、一人参加で。

母は友達と旅行する方が良くて、父は一人が良くて、バランス取れてました。

70代後半で南米マチュピチュへ行きました。

アフリカのビクトリアの滝も行ってます。

エコノミークラスなのに長いフライトもへっちゃらでした。

よく旅行会社が一人参加をOKするな、という年齢になっていました。

旅行会社が父の一人参加を渋るようになったら、私が同行しても良いと思っていたくらい。

万が一、旅行先でトラブルが起きたら、いつでも飛んでいく覚悟もできていました。

楽しそうにどこに旅行するか計画をたて、帰国後に写真を見せてくれる父とは、普通の父と娘の関係になっていました。

私が幼かったころの印象はどこへ行ったのやら。

 

普段は、スーパーのチラシを眺めては、あちこちのスーパーへ買い物に出かけてました。

料理も好きでやっていました。

なので、父が生存中は母は買い物はほとんど行っていません。

野菜が高いとかの会話は父としていました。

 

社交ダンスもしていました。

ダンスに月に何度か出かけていました。

もういい爺さんなのに、男性というだけで、歓迎されるようです。

母ももう笑っていました。

亡くなる1年前まで、本当に元気に生活していました