中流奥様の還暦ブログ

還暦から4年も過ぎました。2歳上の夫は完全リタイア2年目。完璧な年金生活者になりました。家計のことお金の動きを中心に綴っています。

中流奥様の中流意識ができるまて

1970~80年代、「一億総中流時代」と言われていた時に学生時代、社会人と過ごした私達世代は、中流であることが当然でした。大きな疑問もなく普通に暮らしていればみんなが中流だったんです。

もちろん田園調布に家が建てられるわけじゃないのは、わかっていまし、高額な物は、憧れはあっても、無理に手に入れようとは思いませんでした⇦お金持ではない

逆にドラマや漫画で見るように、食べる物や住む場所に困ったことは、もちろんありません⇦貧乏ではない

だから、中流なんだと、何とも単純な発想です。都立高校の周りの友達も似たり寄ったりでした。

でも、大学生になると中流にも随分と幅があることに気が付きました。お父さんの職業が今まで出会わなかった友達ができました。みんなが知っている会社の支店長さん、弁護士さんとか大学教授、老舗店舗の社長、地主さんっていう職業?のお父さんなどです。

彼女たちも我が家は中流って言ってました。

私からみれば、はるかにお金持ちなのに。だって旅行や合宿の費用は親が出していたのにビックリしました。中流の大学生はお小遣いはアルバイトして稼ぐと思ってましたから。まぁ、自分からお金持ちっていう子はいませんけどね。

ここで、世の中的には私の実家は中流の下だな、と思いました。

大学卒業して 就職先は当時の新興勢力の会社で、今や誰もが知る大手の企業になりました。

1980年代半ばに、当時のトレンディだった社内結婚です。そして新米中流奥様になりました⇦思い込み。

普通のサラリーマンと結婚した専業主婦は皆そう思っていた時代です。

おかげさまでリストラや大きな病気もなく、夫は会社を変わることなく新卒入社で定年まで勤めあげました。娘達の教育費も出せました。給与が入らなかった月はありませんでしたので、ずーと中流意識のままです。

経済的に上を見ればきりがないし、下を見ればきりがない、だから我が家は「平均・標準・真ん中あたり」だろうな、という意識が根拠もなくあります。

60歳になるまで、色々な知り合いができてました。そこで中流なんて実態のないこともわかっています。うまく表現できないけど、お金の使い方で変わってくるというか。

同じくらいの給与額の生活でも、きれいな雑貨やちょっと良い化粧品などポンポン買っている人は、表面はお金持ちに見えます。でもそんな人は老後貯蓄が十分でなく、年金生活になってから、生活費をかなり下げることになります。現役時代より、ワインや化粧品の単価を大きく下げたという話は聞きます。

私はシミッタレの貧乏性なので、高級化粧品や旅行などでもお土産をポイポイ買う性格ではありません。ご当地のお味噌やレッシングも美味しいのでしょうが、スーパー価格が頭によぎり、買えなくなります。お金がないから買えないのね、って言う人もいると思います。貯蓄をしないと、と常に思っていましたから。

私は娘達の教育費のピークが過ぎたころから、老後の生活を意識し始めました。

まずは、現役時代と生活水準を大きく変えたくない、と思いました。可能なら、旅行は我慢せずに行きたいとも。貯蓄を増やすために、無駄遣いは避けました。

当時も随分と節約が頭の中にありましたから、これ以上の節約の余地はありませんからね。ずーと同じ中流奥様の気分でいられる暮らしが望みです。

 でも今や中流なんて言葉はもう死語になっていますね。 

現代は、若者は正社員と派遣社員との格差社会とか、 シニアは老後破産や下流老人とか、マイナスの言葉が主流です。なんとも悲しくなる言葉です。

中流の定義や意味も分からずボーと生きてきた私は、チコちゃんに叱られても、幸せだったと思います。